ジャパンフェスティバル1991

ロンドン 京都庭園造園事業


完成した庭園の全景
 1991年9月から約4カ月にわたり、英国各地において日本の伝統及び現代芸術、科学技術、スポーツ等を広く紹介する文化行事が「ジヤパンフェスティバル1991」と銘打って大々的に行われた。
 本計画は、同年が日英両国関係の発展に多大な貢献をしたロンドンのジャパンソサエティ創立100周年に当たることもあり、英国国民が日本文化の全体像に触れる機会をつくろうということで、英国側より提案された。各種行事は首都ロンドンをはじめ、サンダーランド、グラスゴー、エジンバラ、カーディフ、ベルファスト等全英各地で開催され、海外で行われる日本文化紹介の行事としては最大規模のものとなった。
日英両国にはそれぞれ本計画実施のために委員会が組織され、英国委員会の委員長には、元英国国鉄総裁サー・ピーター・パーカー氏が就任、日本委員会では(株)東芝の相談役で経団連副会長の佐波正一氏が委員長、元駐英大使で日英協会理事長の山崎敏夫氏が副委員長兼事務総長に就任。日本委員会は外務省、通商産業省、文化庁、国際交流基金、ジェトロ等の協力を得て本計画を推進すると共に、経団連等の協力を得て募金に当たった。
また、本フェスティバルの名誉総裁として、日本より皇太子殿下、英国よりチャールズ皇太子殿下がそれぞれ就任された。企画は展示、公演、シンポジウム映画、スポーツの広い分野にわたり、主要行事だけでも60件を超える。
これらの中でもヴィクトリア・アルバート博物館で行われた現代日本総合紹介展「ヴィジョンズ・オブ・ジャパン」は、本フェスティバルの中心的展示事業あり、建築家、磯崎新氏が総合コミッショナーとなり、3名の建築家と共に現代日本の文化的背景や諸相を解き明かそうと言う意欲的な試みであった。
この他、主な展示としては大英博物館を会場とする鎌倉彫刻展と日本画展、科学博物館におけるロボット技術展、日英美の対話展、各都市を巡回する民芸展等があった。
公演関係では、歌舞伎、文楽、能・狂言等といった伝統的な芸術の上演に加え、蜷川幸雄や木村光一の演出による現代演劇、劇団四季のミュージカル、ダンス等も上演され、延べ3カ月にわたり種々のジャンルのものが英国全土を巡回した。日本人の翻案によるシェイクスピア作品も歌舞伎、文楽、狂言、現代劇の形式で上演された。
 音楽関係では、小沢征爾指揮による斉藤記念オーケストラのロイヤル・フェスティバル・ホールでの演奏を皮切りに、ロンドン・シンフォニーによる武満徹作品の紹介、東京交響楽団(秋山和慶指揮)による5都市での公演、及手演奏家の公演やジャズ、ポップス(渡辺貞夫や坂本龍一のコンサート等)が行われた。
シンポジウムについては、ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツによる日本文化や日英文化比較をテーマとするシンポジウムの他、種々のシンポジウムが行われた。
 映画は、ロンドンのバービカン・センターでの監督50選やナショナル・フィルム・シアターのシネマスコープ映画特集等、代表的な日本映画が上映された。
スポーツについては、初の大相撲ロンドン公演がロイヤル・アルバート・ホールで10月9日から5日間にわたり行われた。
 ロンドンのホーランド公園においては京都商工会議所の援助の下に約5,500uの敷地に滝、池、石橋を配した池泉回遊式の本格的な日本庭園が造られた。本事業はジャパンフエスティバルの行事のうち、唯一永久的に保存される事業である。

京都庭園

日本列島中央部の山紫水明の地、京都は8世紀後半から千有余年にわたり日本の首都として栄え、その歴史の中から日本を代表する豊かな文化や芸術が育まれた。
 なかでも庭園文化は、京都の恵まれた自然環境の中で発展を遂げ、洗練された数々の名園が生み出された。
 近代社会を迎えて庭園が都市空間の中で重要な位置を占めるようになり、人々に自然の美と心のやすらぎを提供している。
 ロンドン市・ホーランド公園の京都庭園は、京都の造園業界を挙げて伝統技能と現代技術を結集して築造した作品であり、日本の代表的造園技法を駆使して、雄大な自然の景観を凝縮表現している。三段に流れ落ちる滝は深山幽谷を、池は広大な海の風景を表し、これを園路や石橋が巡り、野点広場、灯籠、つくばい、ししおどし等々が適所に配置されている。
 このように京都の造園技術の粋を結集して作られた京都庭園は、ジャパンフェスティバル1991の一環として京都商工会議・京都府・京都市の助成を得ると共に地元経済界にその建設資金の協力を依頼し、京都造園業界を挙げて建設したものであり、日本と英国との永遠の友好の象徴として英国ロンドン市のロイヤル ケンジントン・チェルシー区に寄贈されたものである。
造園の経緯
 ジャパンフェスティバル1991事業の一環として、後世に残る日本庭園が日英両国の関係者により構想され、1988年に京都商工会議所に建設要請があった。 これを受けて京都商工会議所では造園業界の協力を得て庭園建設に向けての調査を実施、あわせて特別委員会を設置して、京都府・京都市から助成金を得るとともに地元企業に対し募金活動を行った。そして1991年4月に基礎造成工事を開始、同年8月末に庭園が完成して、9月17日に京都庭園として日英両国皇太子殿下のご臨席を得てオープンし、京都商工会議所よリロイヤルケンジントン・チェルシー区に奇贈した。

1988年
6月
英国ジャパンソサエティ理事長 サー・ヒュー・コータッツィ氏より塚本京都商工会議所会頭に書簡があり、「ジヤパンフェスティバル1991」の一環として、ロンドンにおける日本庭園造園を要請。その後、ジヤパンフェスティバル日本委員会委員長佐波正一氏、事務総長山崎敏夫氏からも要請がある。
1989年
10月
京都商工会議所は造園業界の協力を得て第1次調査を英国に派遣。
10月
サー・ヒュー・コータッツィ氏が京都商工会議所を訪問、塚本会頭にロンドンにおける日本庭園造園を要請、塚本会頭は同調査団のまえ、「京都庭園」と称して建設に取り組む意向を表明。
10月
京都商工会議所常議員会で塚本会頭からロンドンにおける京都庭園の建設構想を説明、了承を得る。
1990年
6月
第2次調査団を英国に派遺。
6月
京都商工会議所常議員会でロンドン京都庭園造園協力特別委員会設置(委員長井上太一副会頭)を議決。
7月
同特別委員会開催、京都庭園造園計画概要を了承、庭園施工、企画・財務各専門委員会を設置。
8月
京都府造園協同組合と社団法人京都府造園建設業協会が共同でロンドン京都庭園作庭実行委員会を設置、京都庭園の設計に着手。
8月
井上同特別委員長が京都府知事、京都市長に会見、助成金交付を要請。
9月
同特別委員会開催、募金活動要綱、造園施工スケジュールを了承。
10月
京都の企業等対象に募金活動を開始。
12月
第3次調査団を英国に派遣。
1991年
2月
サー・ヒュー・コータッツィ氏が再度、塚本会頭を訪問、京都商工会議所とジャパンフェスティバル英国委員会とで京都庭園造園に関する覚書を締結。
2月
同作庭実行委員会が現地調査団を英国に派遺、英国の業者との打合わせを行い、基礎造成工事ならびに造園資材を発注。
4月
英国の請負業者が基礎造成工事を開始。これに同作庭実行委員会は現場監督者(初め、終り各1週間、各2名)を派遺。
5月
京都商工会議所と同作庭笑実委員会とで京都庭園造園工事に関する委託契約を締結。
6月
同作庭実行委員会は京都庭園作庭派遺団(10名)を英国派遺、作庭工事を開始。
8月
月末、造園工事が完了。
9月
京都商工会議所、同作庭実行委員会、ロイヤル ケンジントン・チェルシ一区は京都庭園に関する協定に合意。
9月
17日、両国皇太子殿下のご臨席のもとにオーブニングセレモニー挙行、「京都庭園」をロイヤル ケンジントン・チェルシー区に寄贈。これに塚本会頭を団長とする京都商工会議所・造園業界等代表団50名が参列。
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