グアダラハラ日本庭園 作庭事業

平安建都1200年記念・姉妹都市提携10周年記念

 京都市は1980年にメキシコ第2の都市で、メキシコ音楽の代表「マリアッチ」の発祥の地やテキーラ村で名高いグアダラハラ市と姉妹都市盟約を結んで以来、メキシコとの交流を推し進めてきました。そして、1990年には、そのグアダラハラ市に友好のシンボルとして、両市共同で日本庭園を建設しようという計画が合意され、両市の多くの市民の皆様のご協力とご支援のおかげで日本庭園が完成致しました。
この日本庭園は、京都、グアダラハラ姉妹都市交流の友情のシンボルとして、日本国・京都にある特別史跡・特別名称「醍醐寺三宝院庭園」をそのまま当地に建設したものです。

造園の経緯

グアダラハラ市概要

メキシコ合衆国、ハリスコ州
位置 
メキシコ中西部
人口 
320万人 (京都市146万人)
面積 
323平方Km (京都市610平方Km)
気候 
「常春の都」と呼ばれ、冬の夜間に若干冷え込むほかは1年を通じて温暖な気候に恵まれる。
高原性(標高1,533m)の気候で、1年を通して気温の差が少なく、空気が清らかである。
平均気温19℃、最高気温31℃、最低気温5℃
歴史 
1542年 スペイン人植民地として市ができる。
1560年 ニューガリシア王朝の都市となる。
1810年-1821年 独立戦争 メキシコ王朝の首都となる。
1910年-1920年 メキシコ革命 この間、人口増加、道路整備が進む。
産業 テキーラ、オパール、陶器、ガラス、銀製品他

京都市とグアダラハラ市との交流の記録

1980年10月 姉妹都市盟約締結
1981年11月 京都で「マリアッチとグアダラハラ民族舞踏団演奏会」を開催
1985年10月 グアダラハラで「京都文化展」を開催
1987年11月 京都の「第1回世界歴史都市会議」にグアダラハラ市長が参加京都の「世界歴史都市薄」のグアダラハラ市から「18世紀の劇場模型(銀製)、民芸品」等を出品
1988年 6月 京都からグアダラハラへ「アミメキリン」を贈呈
1988年 7月 グアダラハラで「京都文化紹介公演」を開催
1989年 4月 グアダラハラから京都へ「カンムリサンジャク(鳥)、メキシコヒメシャクケイ(鳥)」を寄贈
1990年10月
グアダラハラ市代表団(ガブリエル・コバルビアス・イバラ市長他)入洛、姉妹都市提携10周年記念事業に参加グアダラハラ市選抜高校生サッカーチーム入洛、京都高校生選抜チームと交流試合グアダラハラから京都へ姉妹都市提携10周年記念モニュメント「エスタンピーダ」像を寄贈京都で「グアダラハラウィーク」を開催
1991年 3月 グアダラハラし青年造園家、日本庭園造園技術研修受入(6ヶ月間)
1991年 4月 京都で「グアダラハラ市立マリアッチ民族舞踏団」が公演
1991年 8月
京都市高校生サッカーチームをグアダラハラへ派遣、グアダラハラ市高校生サッカーチームと交流試合
1992年 2月
「グアダラハラ市建市450年祭」に京都市代表団が参加「コロモスの森公演」で日本庭園起工式を実施

グアダラハラ日本庭園建設経過

1,経過
 1971年に、メキシコ政府及びハリスコ州政府から、在京都メキシコ合衆国名誉領事(現名誉領事森田嘉一京都外国語大学理事長・総長の父、故森田一郎京都外国語大学初代総長)を介して、京都の関係者に日本庭園を寄贈してほしい旨の要望あり。
1980年に、京都市とハリスコ州の州都グアダラハラ市が姉妹都市盟約を提携。
1990年姉妹都市提携10周年記念式典に、グアダラハラ市長一行入洛、グアダラハラ市長から京都市長に対し日本庭園建設に協力してほしい旨の正式要請あり。
1991年、在日メキシコ大使が入洛し、この日本庭園は、両市姉妹都市10周年記念、グアダラハラ市建市450年記念であると同時に、日本・メキシコ両国の友好親善のシンボル施設として、メキシコ合衆国政府が全面的に支援する事とした旨を京都市長に報告、併せて京都市への協力要請がなされた。
同時期に、同メキシコ大使は、日本国文化庁長官川村恒明氏に対し、同主旨の要望申し入れを行っている。

2,京都市の取り組み

以上の経過から、一自治体のみの取り組みでなく、国家レベルの事業であるべき、との認識のもとに、広く関係者の理解、協力、支援を得て、民間の活力を総集して取り組むこととし、この件に最初から関与している在京都メキシコ合衆国名誉領事、森田嘉一京都外国語大学理事長、・総長に対し、京都市長が支援の具体的とりまとめを依頼した。
1992年2月に、森田名誉領事が会長となり、「京都グアダラハラ日本庭園建設委員会」を結成、資金面・技術面で広く関係者から寄付その他の協力を得る組織を発足し、民間レベルでグアダラハラ市を支援する体制をととのえた。

3,グアダラハラ、メキシコでの状況

1992年2月15日に、グアダラハラ市で開かれた建市450年祭式典に、田邊朋之京都市長、高橋泰一京都市会議長森田嘉一在京都メキシコ名誉領事その他京都グアダラハラ日本庭園建設委員会の会員が出席、式典の主要行事として、コロモスの森公園において、安井清氏が神官役を務め、日本庭園起工式が挙行された。
グアダラハラ市は日本庭園建設に関して担当助役を長とするプロジェクトチームを結成、庭園建設に関する両市覚書を、京都・グアダラハラ両市長名で交換した。
これに先立ち、京都市長一行がメキシコ市を訪問、メキシコ大統領公邸において大統領夫人に面会した。大統領夫人から、日本庭園設計計画について、「応援している、完成を心待ちにしている、大統領ともども日本びいきであり、3人の子供はすべて日墨学院で学ばせている。」などの激励の言葉とともに、庭園工事や完成後の管理について種々のアドバイスがあった。
さらに京都市長一行は、在メキシコ日本大使館を訪問、田中常雄大使と日本庭園の工事施工、完成後の維持管理問題を協議。

4,庭園モデル

京都・日本の文化と技術をメキシコに紹介するこの上ない機会であり、しかも末永くメキシコの人々に親しんでもらえる施設となることから、「本物」の日本庭園を贈るべきである、との認識のもとに、(財)京都伝統建築協会理事長 中村昌生京都工芸繊維大学名誉教授)と相談を行ってきた。
1992年2月15日の起工式には、同協会重鎮の岡崎文彬京都大学名誉教授のアドバイス及び監修により、中村昌生理事長をはじめとする(財)京都伝統建築技術協会の有志が作成したモデルのない一習作の図面と模型を、現地において使用した。
その後、岡崎名誉教授から、京都を代表する庭園は、醍醐寺三宝院の庭園であり、これをモデルとして、グアダラハラの地形や気候を考慮したものとしてはどうかとの強い推薦を得た。
後世まで残る日本庭園を三宝院の庭園の双方園とすることは、両市両国の親密な友好関係のシンボルにさらに価値を付加するものと考え、岡崎名誉教授、その他関係者のアドバイスを得て、日本庭園のモデルとして三宝院の庭園を採用。
グアダラハラ日本庭園のモデルとして醍醐寺三宝院の庭園を採用することとなったため、田邊朋之京都市長、森田嘉一京都グアダラハラ日本庭園建設委員会会長が醍醐寺を訪問、醍醐寺三宝院庭園をモデルとすることについて麻生文雄座主の承認を得た。

5, 委員会活動

醍醐寺三宝院の協力を得た後、庭園モデルが決定した旨を、報道関係に広報し、「京都グアダラハラ日本庭園建設委員会」が募金活動を開始する。
1993年11月17日に森田嘉一京都グアダラハラ日本庭園建設委員会会長と佐野籐右衛門京都府造園協同組合理事長の間でグアダラハラ日本庭園造園工事委託契約を締結。
契約締結後、グアダラハラ市における工事着手、1994年(京都市建都1200年記念の年)秋にグアダラハラ日本庭園が完成。
1994年10月10日、グアダラハラ市における日本庭園竣工式に京都市代表団、京都グアダラハラ日本庭園建設委員会、文化使節団総勢92名が参加。
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